日本最長距離を走った鈍行列車の旅の思い出

鉄道

おはようございます。Local Trainです。

今回は、私の旅の思い出の中でもとりわけ印象に残っている、かつて日本最長距離を走った鈍行列車の旅の思い出を書きたいと思います。

旅の舞台は、中国・近畿地方の日本海側を走る山陰本線。

かつてこの路線に、福岡県の門司駅から京都府の福知山駅まで実に595.1kmの距離を、一駅ずつ停まりながら走り抜く、究極の鈍行列車が存在していました。

門司駅を朝の5時22分に出発し、福知山駅到着が夜の23時51分。

所要時間はなんと18時間30分という、名実共に日本一と言っても過言ではないスーパー鈍行列車でした。

鉄道旅のレジェンド、宮脇俊三氏と種村直樹氏

私が初めて鉄道に興味を持ち始めた昭和50年代頃の鉄道事情は、新幹線やブルートレインという華やかな一面と、廃止に揺れる赤字ローカル線の存在という暗い一面の二つの顔を持った時代でした。

そして鉄道ファンの間では、赤字ローカル線が廃止する前に全線完乗を目指す、ということが一種のトレンドになっていました。

その当時、鉄道の魅力を日本全国に余すところなく発信し、私もその影響を大きく受けた鉄道紀行家がお二人いらっしゃいました。

宮脇俊三氏と種村直樹氏のお二人です。

子供心にお二人の著作を読み漁り、たとえ現地に行けなくても、お二人の情報で日本一周をした気分に浸っていたものです。

そして迎えた夏休みや春休みには、貯めた少額のお小遣いを握りしめ、お二人から発信された情報のいくつかに基づいた鉄道旅に出かけていました。

この日本最長距離の鈍行列車の旅も、数多くあるお二人の著作の中から種村直樹氏が執筆された情報を参考に旅の計画をし、青春18切符を使って出かけた鉄道旅の一つでした。

18時間30分列車に揺られて

早朝5時から深夜0時近くまでの20時間弱、ずっと同じ列車に乗り続けていると、本当にさまざまな経験をするものなんですね。

まず鉄道ファン同士の交流。

先にも触れましたが、当時種村直樹氏の影響を受けている鉄道ファンは全国にたくさんいましたので、この列車にも私と同じような鉄道ファンが何人か乗車していました。

つまり似た者同士の鉄道オタクが、20時間近く一緒に行動するわけですよ

泣きも笑いも共有できる同じオタクの仲間同士ですから、時間を追うごとに絆が深まって、終着駅の福知山駅に到着した時は全員別れを惜しんで涙、涙の感動的なフィナーレになったことを覚えています。

また、列車自体は一駅ずつ停まる鈍行列車ですから、鉄道ファン以外の乗客の皆さんは数駅ごとに入れ替わっていくわけです。

そうやって入れ替わって乗車されてくる地元沿線の方々からは、たくさんの親切をいただきました。

地元名産の食べ物やお土産物からお茶やジュースまで、本当にたくさんの差し入れや、その土地土地の地元のお話をありがたく頂戴しましたね。

そしてこれまた数多く出会った、親切な車掌さんや駅員さんの方々。

長距離移動の中、入れ替わりで乗務されてくる車掌さんや、長時間停車の間に途中下車した駅の駅員さんからも本当にたくさんのご厚意をいただきました。

一番の旅のご厚意は…

そんな数多く受けたご厚意の中で、とりわけ記憶に残っていることが一つあります。

確か鳥取駅から城崎温泉駅(当時は城崎駅)までご乗車された方のご厚意でした。

私が駅や列車の中で宿泊しながら続けている鉄道旅の話をしますと、「いくら若いとはいえ無理しすぎだ。帰りに時間を作ってうちに寄りなさい」と言って名刺を一枚下さったのです。

そしてその名刺には、あの有名な「城崎温泉」の文字が書いてありました。

そう、その方はなんと、城崎温泉の旅館の社長さんだったのです。

私が大人だったら、「ご厚意だけありがたく…」で終わりだったのでしょうけど、当時はなにせ世間知らずの子供でしたから…

遠慮という言葉はまったく頭に浮かばないまま、旅のスケジュールを変更して城崎温泉に立ち寄る時間を作り、一泊数万円はするであろう旅館にタダで泊めていただきました。

もちろん、お風呂に食事付きで !

まとめ

現在、日本一長く走っている普通列車は、JR西日本の福井県敦賀駅から兵庫県播州赤穂駅までを結んでいる新快速のようです。(参考 : https://trafficnews.jp/post/99252)

走行距離は268.1kmとあの鈍行列車の約半分以下のうえ、新快速ですから通過する駅も多いですよね。

そう比較すると、当時のあの鈍行列車がいかにすごい列車であったかが分かります。

昭和の鉄道史の一頁を彩る、懐かしい列車旅の思い出でした。

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